第9回東日本大震災復興支援チャリティーコンサート終了

コンサート後も色々と忙しくしておりまして、書くのが遅くなりました。そして

ヤフーブログからやっとこさ引越しができました。

 

2011年の夏から開催しております、東日本大震災復興支援チャリティーコンサートも今年で9回目になりました。沢山の方のサポートで続けてこられて、本当に感謝しております。今年も福島県双葉町に寄附させて頂きました。

 

 

どんなところで演奏する時も本気でやるのはいつも同じなのですが、

このコンサートは企画から集客、宣伝を全部取りしきっている、と言いますか、主導でやっているので、エネルギーをすごく使います。

コンクールなどの、自分がいなくても回る、という状態でなく、

代わりがいない、という状況は、自身を非常に成長させてくれると思います。

そして、コンサートを作り上げることが、私はとても好きです。

才能ある演奏家と縁が広がるのも面白いです。

お客様からは、

”毎年ちょっとずつ違って面白い!”とか、

”外の暑さなんて忘れるほど、違う世界を体験できた!”

”こういうコンサート初めてだけど来てよかった!”と仰って頂けると、嬉しいです。

 

演奏家は、チェリスト、ピアニストが二日合わせて5人、そして私の声楽でしたが、ここからは個人的な感想を書きます。

日本歌曲にしろ、オペラアリアにしろ、初めて聴く曲、という方が多かったと思うのですが、”お客様うけする曲” があることを、私は今回特に感じました。

それは、演奏する人によっても違うかもしれませんが…。

聴衆に伝わった時は、歌うやいなや、待ちきれなかったように拍手が来たり、うなり声が聞こえたりするので、わかるのです。そういうお客様とのコミュニケーションも、コンサートの醍醐味かもしれません。

 

今回私が歌った曲の中で最も喜ばれた、と、感じたのは、

中田喜直作曲 サルビア

○アルディーティ 口づけ

 

でした!

 

この2曲は、とても有名な曲なのですが、普段クラシックをお聴きにならない方はご存知ないと思いますので、この2曲の反応が良くて、とっっっっっても嬉しかったです。

サルビアってすっごくドラマチックな曲なんですけど…こういう内面の方、意外と多いのかな!?と思ったり。

日本歌曲って、楽譜の右上をみると、さりげなく作曲家と作詞家が書いてあるのですが、作曲家は勿論のこと、作詞がすごい大物ってこと、多いんです。

え、石川啄木!?三木露風!?竹久夢二!?みたいに。

曲によっては、こんな言葉伝わるのかなぁ、なんて思ってしまうほど古い日本語にも遭遇するのですが、嚙み締めるとやっぱりイイ。

時代と共に埋没していってしまうのは、勿体無いと思うので、

できるだけ、機会を作って歌っていきたいと思います。

声の変革には外国ものが良いので、外国ものも変わらず歌っていきます。

 

あとですね、”お客様うけする曲”というのは、歌においても器楽においても、華やかだったり、わかりやすいものが多いのですが、

”後からよくなる曲”

というのも存在します。

 

最初はとっつきにくかったとしても、何度か聴いていくうちにはまっていくタイプの曲です。

こういうタイプの曲は知れば知るほど”好き”が増していきます。

 

ブラームスなんて、まさにその代表です。

 

クラシックはとっても面白い!

 

 

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8月4日プログラム

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8月10日プログラム

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人の多面性と人間味

出会う人ほとんどが、常識人が多いので、日本人てほとんどそうだと思うのだが、
そんな中、常々感じるのが、表面的には礼儀正しく普通の人に見えても、
内面は気性が激しい人も結構いるのだということ。

皆コンプレックスとか、何か触れられたくない事とか、嫌な思い出とか、それぞれが持っているからかもわからないが、その人の地雷に触れてしまった時に、突然爆発してしまう人もいる(程度は軽い)。

それと、普通に会話してくれれば良いのに、偏屈な答え方する人。こっちは友好的に話そうと思っているのに何なんだ?って瞬間的に思ってしまう。

でも、気性の激しさ=変な人、とは決め付けられない。
何かに懸命な人が熱いゆえに激しくなったりもするし、
一度怒った後に、反省して、愛のある行動を取ってくれる事もある。こだわりが強い人が、他方から見ると、偏屈に見える時もある。かくいう私も
感受性が強くて、理性で抑えられるけど内面感情は激しいほうだし、たまに他人が見せてくれる ゆがんだ部分を批判できる分際ではない。

でも、人はいろんな事を抱えて生きていたり、色んな毎日を生きて良い思い出も悪い出も作りながら生きているから、
素直に捕らえられない事も、偏屈なことも、人間味なのかな、と思うようにしている。
ある一面だけ見て、変な人、と決め付けるのは勿体無い。総じて考えれば良い人って多いのだ。

因みにバロック音楽バロックの由来は、ゆがんだ真珠、です。

ヌーベルバーグの演奏会を終えて

12月2日に、初めてオーケストラと共演しました。私は
子供の頃からピアノをやっていたので、10代の頃にオーケストラと
コンチェルトをやらせて頂いた事があります。が、
声楽をオーケストラでやるのは初めてでした。

リハーサルの時に、リハーサル室に通して頂いた瞬間、
”え!?こんなにいるの!?”と、脚がすくんでしまう思い。
想像ではもう少し小編成のオーケストラだと思っていたのです。
協会の方から、”全員乗りますから”と言われ、更に足がすくむ。
モーツァルトなんかですと、オケでも金管が入らないので、
曲で、乗らないメンバーもいるわけですが、プッチーニはオーケストラも
大編成なのです。
いや、アメリカを一人で闊歩した事もあるのだから、大丈夫、
と、こんな時に過去の自分の勇敢な挑戦を思い出したりして…。
かなり緊張して、リハーサルの出だしは、ふるふる、って感じでしたが、
途中から声も乗ってきて、そして、魂が叫ぶような喜びでいっぱいになりました。
あ~生きてるとなんて素敵な瞬間が、あるのだろう!!って思いました。
いつも、音楽的感性を魂レベルで向上させるためには、新たな挑戦とか、他の音楽家との音楽的感性のテレパシーの交換は、必須だと思っています。

本番は、意外と肝が据わってしまう方なので、無事に終わりました。
最初の体験というのは、ドキドキがマックスなもので、果たしてこんな大勢の音が鳴る中で、自分の声が聞こえるのかしら?なーんて不安から始まるのに、合わせなどを重ねるうちに、慣れてしまうわけだから、いかに、経験が大切かと思います。なんでも、思っているうちが、一番難しく感じるのではないかしら。

指揮者も素晴らしい方でオーケストラもとても良いオーケストラでした。

2019年も、できるだけ本番を重ねたいです。
行動と経験こそが価値、というのは、最近読んだホリエモンさんと西野さんの本に書いてあり共感致しました。

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事故の涙、を見て

先日NHKの”事故の涙”を見て、数日間切ない気持ちが襲ってきた。
九州大学の事故の話だ。

なんだか、切ない。
彼は子供の頃からすごく秀才だったようだし、
研究室でも抜群の頭の良さを発揮していたようだ。
非常勤講師を掛け持ちしても食べていけない、
慣れない肉体労働までして、研究する時間も取れず、
心身ともに疲弊していき、
どんなにつらかっただろうと思うと涙が出る。
おそらく非常勤でも30代ぐらいまでに常勤とかになれれば
まだ良いのだろうけど、難しい実態があるようだ。
子供の頃から秀才だと、周りからは、何でもできてしまうような人に
見えるし、誰が助けなくても生きていけそうに見えてしまうものだ。
気持ちも優しい人だったという事だから、誰かに甘えたり、
誰かを頼ったりすることも、できなかったのだろう。
一人で抱え込んでプッツンしてしまったのだと思う。
少しだけ幸せもあったかもと傍目に思ったのは、
接骨院の受付の方や、ラーメン屋さんの店主さんが、
彼のことを”見ていた”そして、”心に留めていた”という事だと私は思った。
誰かを”心配する”とか、あの時何とか言ってほしかった、と、人を思いやる気持ちって、人間として、なんて美しい姿かと思う。

求道的な人は、抜く、とか、要領よく生きる、とか、たまには”仕方ないか”という、気持ちの逃げ道を作ることもまた、学んだ方が良いのかもと思う事がある。
一つの道を貫けないことも、ある、それを別に、悪い、と思う必要もないのではないかと。



自分のピアノの弾きやすさ

子供の頃からピアノをやっているので、ピアノはいつでも弾けるし、弾くの大好きなのですが、すごく思うことがある。それは、私のピアノは、よく、歌えるということ。楽器は持ち歩けないので、場所場所によって、違うピアノにご対面するわけだが、それはそれとして、ピアニストは普通皆マイピアノを持っている。私もマイピアノと、かれこれ20年以上付き合っているが、完全に私みたいになっている。声も楽器、美しい声を発すれば、きっとピアノも聴いている。ピアノってガタイ木で出来てるから、呼吸してるだろうし。だから、私の声とも対話してるだろうな、と思う。自分でピアノ弾いたときも、なんて歌いやすい楽器だろう、と、惚れ惚れしてしまう。因みにヤマハです。声もピアノもアナログだけど、アナログは素敵、あたたかい温もりがあります。

12月2日の演奏会案内

12月2日に日暮里サニーホールにて演奏会がございます。
ご都合宜しければ、是非お運び下さい。


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下記にインタビュー記事が掲載されております。

歯科医院の衛生面について思うこと。

何年か前に歯科医療現場の衛生面について、新聞記事とか話題になった事があって、衛星管理徹底してます、って掲げる医院も増えたような気がするのですが、まだ気になる点があります。

患者側から、先生に確認取るなんて、取りづらいものですよね。

気になる事があって、あまり話題になってないのが、椅子を倒すボタン。
いくら先生が手袋を患者ごとに変えていても、口の中に入れた手であのボタンを触ったり、引き出し開けたり、ライトを触ったりしたら、唾液つくよなぁと思う。
そして、いちいち患者さんが帰るごとに、触ったとこ全部清掃とか消毒とかしているんだろうか。
ならば、あのボタンも、手をかざすだけで、センサーで動く仕様とかに製品開発されないかなぁと、未来に期待してしまいます。キッチンとかね、有名メーカーのところは、手をかざすだけで水が出るのがあるんです。。ハンバーグをこねた油っぽい手で水栓を触らなくて良い様に。私も結構潔癖なので、想像し始めたら無限に広がってしまうので(笑)、お世話になってる先生のところでは余分な心配をしないようにしてますし、先生を信頼してますけどね。歯医者選ぶって、衛生面だけ、で、決められるものでもないですし。私は医療従事者ではないので、偉そうな事は言えないし、専門家の判断で、それぐらい気にしなくてもOKというのなら別に良いのですが、やっぱり潔癖観点からすると、皆気にならないのかな~って思ってしまいます。歯医者さんはご自分は手袋してるからか気づかないのか、椅子触ったり、あちこち触っちゃうんですよね~。。お~そんなに触らないでくれ!(心の叫び)。