事故の涙、を見て

先日NHKの”事故の涙”を見て、数日間切ない気持ちが襲ってきた。
九州大学の事故の話だ。

なんだか、切ない。
彼は子供の頃からすごく秀才だったようだし、
研究室でも抜群の頭の良さを発揮していたようだ。
非常勤講師を掛け持ちしても食べていけない、
慣れない肉体労働までして、研究する時間も取れず、
心身ともに疲弊していき、
どんなにつらかっただろうと思うと涙が出る。
おそらく非常勤でも30代ぐらいまでに常勤とかになれれば
まだ良いのだろうけど、難しい実態があるようだ。
子供の頃から秀才だと、周りからは、何でもできてしまうような人に
見えるし、誰が助けなくても生きていけそうに見えてしまうものだ。
気持ちも優しい人だったという事だから、誰かに甘えたり、
誰かを頼ったりすることも、できなかったのだろう。
一人で抱え込んでプッツンしてしまったのだと思う。
少しだけ幸せもあったかもと傍目に思ったのは、
接骨院の受付の方や、ラーメン屋さんの店主さんが、
彼のことを”見ていた”そして、”心に留めていた”という事だと私は思った。
誰かを”心配する”とか、あの時何とか言ってほしかった、と、人を思いやる気持ちって、人間として、なんて美しい姿かと思う。

求道的な人は、抜く、とか、要領よく生きる、とか、たまには”仕方ないか”という、気持ちの逃げ道を作ることもまた、学んだ方が良いのかもと思う事がある。
一つの道を貫けないことも、ある、それを別に、悪い、と思う必要もないのではないかと。